詩篇 118篇

「これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」(24節)

「設けられた」と訳された言葉は、「作る、行なう」という意味が原文にあります。ですから、英語の聖書では、「主が作られた日」と訳し、新共同訳聖書では、「今日こそ主の御業の日。」と訳しています。どちらも素晴らしい訳だと思います。今日と言う日を、神様が私たちが楽しみ喜ぶために作られたと意識するならば、今日と言う日をどのように過ごすでしょうか?今日という日に、神が何か素晴らしいことを用意されていると、今日と言う日を喜ぶことができるならば、今日と言う一日を最高に生きることができるのではないでしょうか。また、今日は神の御業の日というのはどうでしょうか?今日、神様が素晴らしいことを行なってくださると、信じ、期待し、始めることは聖書的です。「この日は、主がつくられた!」「この日は、主の御業の日だ!」と信仰の宣言をもって一日を始めていこうではないでしょうか!

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