「ですから、私の若者たちに親切にしてやってください。祝いの日に来たのですから。どうか、しもべたちと、あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。」(25:8)
この箇所は、ダビデとその仲間たちの逃亡生活の様子が描かれています。
彼らはナバルのような裕福な人たちの支援で生活の糧を得ていました。
それが簡単なことではなかったことが分かります。
「祝いの日に来た」というのは、祭りの日に物を分け合う習慣が十分に確立していたので、ダビデの要望に合理性があったということです。
ナバルの問題は、自分の努力で裕福となったという自負からか、貧しさの中にいる人たちを見下し、もてなす心がなかったということです。
イエス様は自分のことしか考えない金持ちの裁きのたとえを語り、言われました。
「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」(ルカ12:21)
今日は主の日。共に、主に礼拝を捧げましょう。