「ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」」(26:9)
ダビデは、神の油注ぎを軽く考えることはありませんでした。
それは、神の権威に対する健全な恐れであり、神の選びに対する敬意でもありました。
それは、また、神の主権に対する信頼でもありました。
ですからダビデは言います。
「主は生きておられる。主は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。」(10節)
ヤコブが
「私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。」(ヤコブ3:1)
と言うように、主に油注がれた方を裁くのは主ご自身です。
ですから、ダビデがそうしたように神の油注ぎを軽視しないことが大切です。
それで、聖書もこのように言います。
「牧師を選ぶ時は慎重にしなさい。そうでないと、その人の罪を見のがす結果になり、あなたもその罪を黙認したことになるからです。」(1テモテ5:22LB)