1サムエル 26:1-12

「ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」」(26:9)

ダビデは、神の油注ぎを軽く考えることはありませんでした。

それは、神の権威に対する健全な恐れであり、神の選びに対する敬意でもありました。

それは、また、神の主権に対する信頼でもありました。

ですからダビデは言います。

主は生きておられる。主は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。」(10節)

ヤコブが

私たち教師は、より厳しいさばきを受けます。」(ヤコブ3:1)

と言うように、主に油注がれた方を裁くのは主ご自身です。

ですから、ダビデがそうしたように神の油注ぎを軽視しないことが大切です。

それで、聖書もこのように言います。

牧師を選ぶ時は慎重にしなさい。そうでないと、その人の罪を見のがす結果になり、あなたもその罪を黙認したことになるからです。」(1テモテ5:22LB)

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