「ダビデはアキシュに言った。「私が何をしたというのですか。あなたに仕えた日から今日まで、しもべに何か過ちでも見出されたのですか。わが君、王様の敵と戦うために私が出陣できないとは。」」(29:8)
二七章で、ダビデはサウル王が信用できず、イスラエルに敵対しているペリシテの地に行きました。
サウル王のダビデに対する敵意を知っていたペリシテの王はダビデを歓迎しました。
この時、ダビデが神に祈ったということは記されていないので、ダビデが自分の考えでそうしたことが分かります。
その結果、ダビデの人生は嘘に塗り固められ、自らを苦しめることになります。
その決定的なのが、神の民であるイスラエルと戦うために、ペリシテ人たちと一緒に出陣するということでした。
ダビデのジレンマは、何もすることなく解決しました。
ペリシテ人の領主たちがダビデを拒絶したのです。
ダビデの失敗にも関わらず、神が介入されました。
聖書は言います。
「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。」(2テモテ2:13)
キリストは私たちを見放すことも、見捨てることもありません。