「総督は彼らに言った。「おまえたちは二人のうちどちらを釈放してほしいのか。」彼らは言った。「バラバだ。」」(27:21)
イエス・キリストは当時の宗教指導者たちにねたまれ、捕らえられ、ローマ帝国の法廷に連れて行かれました。
ユダヤ総督ピラトは、自分で判断することをせずに、責任を分割させるかごとく、群集にイエスかバラバかを選択させました。
バラバは「名の知れた囚人」(16節)でした。
いのちを与えるキリストか、いのちを奪うバラバか、
愛によって解放を与えるキリストか、暴力によって解放をあたえようとしたバラバか、
群集の選択は、バラバでした。
群集がいつも正しいとは限りません。
私たちは生きていく中で、常に「イエスかバラバか」という選択に迫られて生きています。
いつも、イエス様を選ぶことができるように、聖霊様の助けを求めて、常に祈り、群集のご機嫌をとるのではなく、聖書のみことばに耳を傾ける必要があります。
今日は洗足木曜日。イエス様が最後の晩餐で弟子たちの足を洗われたことを覚える日です。