「しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。」(53:5)
今日の箇所は、「苦難のしもべ」と呼ばれるメシア預言です。
ヘンリ・ナウエンという神学者が、こんなことを言っています。
「イエスは、私たちのために十字架上で死に渡されて、私たちを救うために来てくださった主です。そして栄光を受けた体にしるされた傷は、私たちがどのように救われたかを思い起こさせてくれます。さらにそれは、私たち自身の傷も、神へと向かう妨げにならないばかりか、それ以上のものであることをも思い起こさせます。(中略)受けた傷によってイエスであると判別できたように、私たちもそうなります。」
イエス様が十字架という苦難を通して救いをもたらされたということが私たちにとって不可解だったように、私たちの人生の傷を通してでなければわからない世界があります。
自分が願ったように物事が展開していかないと、私たちは受け入れがたく感じます。
しかし、神が人類に与えてくださった救いの道が、私たちが想定するような方法ではなく、神の子が十字架にかかって死ぬことを通してであったのと同じように、神が私たちの人生を導かれる方法は想定を超えています。
ですから、信仰が求められます。