「これはユダの子らに弓を教えるためのもので、『ヤシャルの書』にまさしく記されている。」(1:18)
「ヤシャルの書」は現存しません。
「英雄伝」に等しいものと言われます。
弓を教えるための哀歌とは、ダビデがユダ族の父親たちに、弓の使い方を子どもたちに教えるように命じたという意味だと言われます。
なぜ「弓」なのか。
それはヨナタンが弓の名手だったからです。
「ヨナタンの弓は退くことがなく」(22節)
とあるように。
弓を教えることは、ヨナタンを記念することであり、弓を教えることによって、ヨナタンの影響力は、ユダの民の中に生き続けていきました。
ダビデがヨナタンとの出会いを通して、弓の大切さを知り、ヨナタンの記念として弓を教えたということが、神の摂理の中にあったということです。
神は私たちの人生の中でも様々な出会いを与え、その出会いを通して大切なことに気づかせて下さいます。
それを教えていくということも、神の摂理の中にあります。