「ダビデがヘブロンでユダの家の王であった期間は、七年六か月であった。」(2:11)
ダビデは、預言者サムエルから油注ぎを受けた、イスラエルの正統的な次の王でした。
ところがこの時、彼の部族であるユダの王にはなれたのに、他部族はサウル王の子イシュ・ボシェテを王としました。
私たちは、「この問題さえなくなればすべてはうまくいく」と考えたりします。
しかし、現実は、その問題が消滅しても、別の問題が表面化するということが起こります。
サウル王が死んでも、ダビデの問題は解決しませんでした。
ダビデは、この七年六か月「自分こそ全イスラエルの王となる人物だ」と主張することはありませんでした。
神の時を待ちました。
ヘブル語では「待つ」という単語から「希望」という単語が派生します。
ですから、聖書的に言うならば、「待つ」ことのない「希望」はありません。
「待つ」ことなしに「希望」はありません。