「この私は油注がれた王であるが、今日の私は無力だ。ツェルヤの子であるこれらの者たちは、私にとっては手ごわすぎる。主が、悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように。」(3:39)
ダビデの将軍ヨアブとその兄弟たちは、力ある軍人でした。
「しかし、ダビデはそのことを知らなかった。」(26節)とあるように、ダビデの知らないところでアブネルは殺害されました。
ダビデはヨアブとその兄弟たちを制御することができませんでした。
ダビデは自分でどうすることもできないことを認めて、主なる神のもとに持っていきました。
どうしたらいいか分からない時、私たちは主に持っていくことができます。
主が取り扱ってくださいます。
祈りによってすべてのことを主に持っていくことができることはなんという特権でしょうか。
平安を失い、必要のない痛みを抱えるのは、主のもとに持っていかないからです。
今日は主の日。共に、礼拝を捧げましょう。