「ダビデは、主が自分をイスラエルの王として堅く立て、主の民イスラエルのために、自分の王国を高めてくださったことを知った。」(5:12)
「油を注ぐ」というのは、神がその人を特別な務めに選ばれたことを示しました。
ダビデは人生の中で三回油を注がれます。
まず、預言者サムエルから油を注がれます。
「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。」(Ⅰサムエル16:13)
とあるように、それは信仰の油注ぎでした。
二回目は、2サムエル二章に出てきます。
全イスラエルの王ではなく、ユダ部族のみの王という希望の油注ぎでした。
そして、この五章では全イスラエルの王として、愛の油注ぎを受けました。
ダビデは自分をイスラエルの王として立ててくださったのは神であることが分かっていました。
だから、自分の栄光を求めることはありませんでした。
神が神の民を愛されるがゆえであると認識していたのです。
神が祝福されるのは、神が民を愛されているからです。