「彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。」(6:3)
ダビデは神の臨在を示す神の箱をエルサレムに運び入れようとしました。
神の箱は祭司の肩に担がれて運ばれなければならないと聖書に書いてあります。
しかし、ダビデはより良い方法と思ったのか、荷車に載せました。
これはペリシテ人の方法でした。(1サムエル6章参照)
結果は悲惨でした。
ダビデは正しいことをしようとしましたが、間違った方法だったのです。
教会も同じ間違いを犯す危険があります。
聖書の御言葉ではなく、この世の方法で、神の目的を成し遂げようとしていないでしょうか。
聖書は言います。
「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。」「主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」(使徒2:42,47)
神の働きを神の方法で行う必要があります。