「ツェルヤの子ヨアブは、王の心がアブサロムに向いていることを知った。」(14:1)
アブサロムをイスラエルに連れ戻すことは、政治的にも、司法的にも問題があることでした。
しかし、ダビデの思いはアブサロムに向いていました。
それで、ダビデの軍の将軍であるヨアブはテコアの女性を用いてダビデの感情に訴えます。
「どうか王様。あなたの神、主に心を留め、血の復讐をする者が殺すことを繰り返さず、私の息子を消し去らないようにしてください。」(11節)
感情的に罪をうやむやにしていいわけではありません。
罪に対する代償は支払う必要があります。
ですから、神の御子、イエス・キリストは、私たちの罪の代償として、あの十字架で死ぬ必要がありました。
神は私たちの罪をうやむやにされたわけではありません。
イエス様が代わりに支払ってくださったのです。
そのことを私たちは忘れるべきではありません。