「主がダビデを、すべての敵の手、特にサウルの手から救い出された日に、彼はこの歌のことばを主に歌った。」(22:1)
ダビデ王が晩年、人生を振り返った時に、様々な敵から神が救い出されたことを回想して、この詩を書いたと言います。
「特にサウルの手から」とありますが、ダビデにとって、サウル王から命を狙われたことは大きな悩みでした。
ダビデは、そもそもサウル王に命を狙われる理由はありませんでした。
ダビデは、サウル王の忠実な部下であり、サウル王の娘と結婚した、親族でもあったのです。
ところが、サウル王はダビデを妬み、彼に槍を投げました。
そして、サウル王は死ぬまでダビデの命を狙い続けました。
ダビデがこの詩を書いたのは、救い出してくださる神がおられることを証するためだと言います。
ダビデが体験したように、プレッシャーを感じている人が、生ける神を見上げることができるためだと言います。