「主は、その祭壇を拒み、聖所を退け、その宮殿の城壁を敵の手に引き渡された。例祭の日のように、彼らは主の宮で声をあげた。」(2:7)
礼拝をないがしろにすることは、神ご自身をないがしろにすることです。
LBではこの箇所をこのように訳しています。
「主はご自分の祭壇から顔を背けました。形ばかりの礼拝に失望したからです。主は宮殿を敵の手に渡しました。彼らは、例祭の日にイスラエル人がしたように、神殿で飲み騒ぎました。」
イスラエルの民の誤解は、神殿があるから、形式的でも例祭を守っているから大丈夫だと考えていたことです。
神は、罪を悔い改めて、神に立ち返らない民に対して、敵対されると言います。
「神はご自分の民に向けて、まるで敵でもあるかのように弓を引きます。」(4節LB)
私たちは健全な畏れをもって主に立ち返る必要があります。
罪を選ぶことは、神に敵対することです。
神に敵対して良いことは何もありません。