「私が助けを求めて叫んでも、主は私の祈りを聞き入れず、」(3:8)
聖書を読むときに、私たちが注意しなければならないことを、聖書が文学的に書かれているということです。
哀歌は、歌であり、私たちの感情部分を扱っています。
つまり、今日の箇所が教えていることは「祈りは聞き入れられない」という内容ではありません。
苦難の中で、信仰の先輩たちもまた、そのように感じることがあったということを教えているのです。
実際、この直後、エレミヤは言います。
「主はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。」(3:25)
ですから、たとえ聞き入れられていないと感じることがあっても、祈り求め続ける姿勢が大切です。
主を求めるたましいに、主はいつくしみ深いからです。
主は必ず答えてくださいます。主の信実は尽きません。
「それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。」(3:23)