哀歌 4:11-22

「主は憤りを出し尽くし、燃える怒りを注ぎ出された。主はシオンに火を放ち、火はその礎を焼き尽くした。」(4:11)

哀歌は苦しみが扱われているのと同時に神の怒りとの遭遇が歌われています。

ただ、神の怒りの結果としてエレミヤは祈りに導かれています。

苦しみの中で、悔い改め、神の贖いを求めています。

神の怒りは神が気にかけておられる証拠です。

神は私たちのことに関心をもっておられるがゆえに怒られるのです。

神は個人的に私たちに関わり、絶望から引き上げ、悔い改めに導き、信仰に、そして、希望に導こうとされています。

だから、状況ではなく、誰かではなく、自分の感覚でもなく、聖書の御言葉に耳を傾ける必要があります。

当時の偽預言者たちは、人々が聞きたがる言葉を語り、滅んでしまいました(13節)。

だから聖書は言います。

「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」(2コリント7:10)

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