“わたしの家族は全員救われます“
信仰宣言で幾度となく繰り返したこの言葉。
その言葉通り父は、多くの兄弟姉妹に見守られながら洗礼を受けることができました。
決断に至るまでの証、はっきりとした誓約。
言わされているのでも諦めているのでもなく、何の迷いもない清々しいまでの姿勢で洗礼を受ける父の姿は輝いて見えました。
あの日面会に行った施設で、初めて父の手を取って祈った瞬間の主の臨在は、今思い返してみてもこれまで体験したことのないようなもので、何かかはじけたというか壊されたというかそんな感じでした。
父は
「なぜ自分が洗礼を受けると言ったのか自分でもわからない。神様が背中を押してくれたとしか言いようがない。」
と話していましたがまさに「神様のとき」があの瞬間だったのだと思います。
前任の山崎徹也先生が父の手を握って咽び泣く姿は、まるで放蕩息子の帰りを待ちわびていたお父さんのようで、わたしも泣いてしまいました。
一族の初穂である祖父も、きっと天国で喜んでいると思います。
司式をしてくださった黄金井先生の
「勇さん、お帰りなさい!」
との言葉にまた泣きました。
(小山晶子牧師人)