「『だれがおまえを、指導者やさばき人として任命したのか』と言って人々が拒んだこのモーセを、神は、柴の茂みの中で彼に現れた御使いの手によって、指導者また解放者として遣わされたのです。」(7:35)
群衆の判断が必ずしも正しいとは限りません。
ステパノが語っていた聴衆たちは、イエス様を拒んだ人たちでした。
ステパノは、モーセの時代の人たちも同じようにモーセを拒んでしまったことを思い出させようとしました。
ステパノは指摘します。
モーセは生きた御言葉を授かったのに、「私たちの先祖たちは、彼に従うことを好まず、かえって彼を退け、エジプトをなつかしく思って」(39節)偶像を作り、礼拝したではないかと。
私たちは群衆に合わせるのではなく、聖書の御言葉に立ち返る必要があります。
この世と調子を合わせるのではなく、日々、聖書の御言葉を読み、自分の思いを刷新していくことは大切です。