「そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」(8:17)
「彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちのだれにも下っていなかったからであった。」(16節)
とあるように、聖霊のバプテスマは、水のバプテスマとは異なる体験です。
魔術師シモンが
「使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置く者がだれでも聖霊を受けられるように、その権威を私にも下さい」と言った。」(18,19節)
というほどの体験だったことが分かります。
問題は、それは人が与えるものではなく、聖霊なる神が与える満たしということです。
ですから、金で買えるものではありません。
ペテロの叱責に対して、魔術師シモンは悔い改めます。
「あなたがたが言ったことが何一つ私の身に起こらないように、私のために主に祈ってください。」(24節)
彼の悔い改めが真実なものであったことは、彼が赦されていることからも分かります。