「さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。」(9:10)
イエス様はアナニヤという一人の信徒を用いました。
彼はイエス・キリストを信じ、どうやって、イエス様の声を聴き分けるかを知っていました。
そして、どんな危険が待ち受けようともその声に聞き従う準備が出来ていました。
彼は愛と恵みと知恵をもって実行することができました。
神は、牧師、伝道師、宣教師と呼ばれる教職者だけを用いられるわけではありません。
信徒を用いられます。
「神様に導かれました・・・」と、神の導きに従う主にある兄弟姉妹がいるからこそ、教会は存在しています。
アナニヤの従順によって、サウロの目は癒され、聖霊に満たされました。
「するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。」(18節)
この箇所から「目から鱗が落ちる」という慣用句が生まれました。