「彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。」(12:13)
奇跡的に救われたペテロは、彼のために祈っていた「マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家」(12節)に行きました。
そこにロデという召使がいました。
召使という表現は、現代にはふさわしくありません。
要するに、ロデは喜んで召使の役割をしたということです。
ロデのように仕える人がいたから、初代教会はうまくいきました。
教会はロデのように喜んで神と人に仕える人たちが必要です。
ただ、彼女はあわてものでした。
彼女は
「ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。」(14節)
とあります。
著者のルカは「喜びのあまり」そういうことをしたのだから許してあげましょうと記しました。
教会は失敗を責める場所ではなく、「喜びのあまりですから」と、赦しあい、愛し合うところだからです。