「私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』」(22:8)
パウロは、心からの願いでもあった、エルサレムで同胞に対して自分がどうしてキリスト者になったかを証しする機会が与えられました。
「兄弟ならびに父である皆さん。今から申し上げる私の弁明を聞いてください。」(1節)
と、パウロは敬意をもって話しはじめます。
パウロは自分がキリスト者になった理由は、ダマスコ途上でイエス様にあったからだと説明します。
「天からのまばゆい光」(6節)
は、エゼキエル書1章でエゼキエルが見た
「主の栄光の姿」(28節)
を彷彿させます。
証とは、このようにキリストに出会う前と出会った後について語るものです。
誰もが、パウロのようにイエス様の声を直接聞くわけではありません。
しかし、聖書を通して、誰もが神の言葉を聴くことができます。