「パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見てとって、最高法院の中でこう叫んだ。「兄弟たち、私はパリサイ人です。パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。」」(23:6)
歴史家のヨセフスはパリサイ人に関してこんな記述をしています。
「パリサイ派は、律法諸規定のもっとも厳密な解釈者と見なされ、首位を占める学派であったが、彼らはいっさいを運命と神に帰した。」
つまり、パウロはその時代のユダヤ教でもっとも影響力があり一番大きなグループに属していました。
また、この後、七〇年のエルサレムの崩壊後に唯一残ったのもパリサイ人です。
パウロは「パリサイ人だった」と過去形にすることはありませんでした。
パウロは、パリサイ人たちが信じていた「死者の復活という望み」の成就をイエス様に見ていました。