「ですから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。私たちが告白する、使徒であり大祭司であるイエスのことを考えなさい。」(3:1)
キリスト者であるならば、「イエスのことを考えなさい」と言います。
イエス様をまず、「使徒」として考えなさいと言います。
「使徒」は神から遣わされた人という意味があります。
それはイザヤが預言した「メシア」として考えなさいということです。
「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。」(イザヤ61:1)
さらに、イエス様を「大祭司」として考えなさいと言います。
「大祭司」は神と人との間をとりなす存在です。
イエス・キリストは、人が神に近づくことができるように、すべての人の罪のために十字架にかかり死なれました。
イエス様は完全な神であり、完全な人となられましたから、「使徒」であり「大祭司」です。