「私たちが持っているこの希望は、安全で確かな、たましいの錨のようなものであり、また幕の内側にまで入って行くものです。」(6:19)
聖書は私たちの人生に嵐が起こらないとは約束していません。
「錨」が備えられているという話自体が、人生に嵐はあるものだと示唆しているようなものです。
聖書が約束していることは、どんな嵐があったとしても、「信頼できる不動の錨」があり、私たちは揺るがされることはないということです。
私たちが錨を降ろしている天の幕屋には、私たちの大祭司、イエス・キリストがおられます。
イエス・キリストの十字架の御業によって、イエス・キリストを信じる者は、神の臨在の中に錨をおろしているから、何があっても、動かされることはないということです。
主は言われます。
「わたしが持っているすべてのものであなたを祝福することを約束する。祝福し、祝福し、祝福する。」(14節MSG)
今日は主の日。共に主に礼拝を捧げましょう!