「知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これとは比べられないからだ。」(8:11)
箴言における「知恵」は人格化され、一人称で語られます。
また、「知恵」は単なる思考の問題ではなく、「生き方」そのものに関わることを示します。
ですから、箴言は一貫して一時の快楽ではなく、「知恵」を求めることを勧めます。
どんな宝よりも「知恵」を求めることを勧めます。
それでは、どこでまことの「知恵」を見いだすことができるのでしょうか?
新約聖書にその究極的な答えを見ることができます。
「ユダヤ人であってもギリシア人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。」(Ⅰコリ1:24)
もし、本物の知恵を求めるならば、私たちはイエス・キリストとの関係からはじめなければなりません。
イエス・キリストとの関係は、どんな宝にもまさり、何も比べることはできません。