「幸いなことよ。日々わたしの戸の傍らで見張り、わたしの門の柱のわきで見守って、わたしの言うことを聞く人は。」(8:34)
ここでは、日々のデボーション(QT)の重要性が語られています。
日々、見張り、見守るように、聖書のみことばに耳を傾ける人は幸いな人だと聖書は言います。
なぜならば、このようにして人はいのちを見出し、主から恵みをいただくからです。
これはまさに、いのちと死に関わる重要な事柄です。
イエス・キリストを信じると口で告白していても、日々、聖書のみことばを読まなくなると、心とたましいが死んでしまいます。
キリスト者と言いながら、力がないのはそういうことです。
LBでは36節をこのように訳しています。
「しかしわたしを見失う人は、自分をだめにする。わたしの忠告を退ける人は死を愛しているのだ。」
神のみことばを愛し、神のみことばに生きていくことができますように。