「ほむべきかな。わが岩である主。主は、戦いのために私の手を、いくさのために私の指を、鍛えられる。」(1節)
神様は、私たちを鍛えます。試練や逆境を通し、悲しみや憤りを通し、それを乗り越えていくことを通して私たちの信仰を鍛え上げていきます。スポーツや音楽、勉強もそうですが力をつけるためには、一度ではなく何度も何度も、訓練をしなければなりません。その訓練は容易ではなく、本当に忍耐の必要な作業であることは私たちは皆経験から理解することができると思います。では、それらは何のためなのでしょうか?ダビデは『戦いのため』と告白します。私たちにとっての『戦い』とはなんでしょうか。エペソ人への手紙の六章には、『わたしたちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』と記されています。私たちは神の国、愛と赦しに生きることによって戦います。