「人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。」(3:19)
「人知をはるかに超えたキリストの愛を知る」ということは、「人間が知ることができないものを知ることができるように」ということですから、ある意味、矛盾した表現です。
しかし、こうも考えることができます。
「キリストの愛」が私たちの理解を超えているという事実を、単なる「知識」としてではなく「体験的に」知って欲しいとパウロは祈っていると。
ある神学者(バルト)がこんなことを言っています。
「神の啓示は、不思議を根絶するよりもむしろ、恐れと敬意を創る。・・・理解された神というのはいつも、偶像である。」
そもそも、私たちの頭で理解できるような神は本物ではないと。
「知識」としてではなく「体験的に」キリストの愛を知ることができますように。