「人を富ませるのは主の祝福。人の苦労は何も増し加えない。」(10:22)
自分が苦労して富を築き上げてきたと自負する人は、貧しい人は苦労が足りなかったから貧しいのだと見下げる傾向があります。
そして、自分が苦労して得た富だと自負しているので、その富を人と分かち合うことは考えません。
しかし、謙遜に、主が祝福してくださったがゆえに富を築けたと考える人は、分かち合うことを喜びとします。
主を恐れるがゆえに富を分配し、祝福の基となります。
そもそも神が私たちを祝福される理由は、私たちが祝福の基となるためです。
聖書は言います。
「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(1ペテロ3:9)
私たちは、神のすべての良きもの、神の祝福を受け継ぐために召されています。