ゼパニヤ 2:4-15

「これは彼らの高慢のためだ。彼らが万軍の主の民をそしり、これに向かって高ぶったからだ。」(2:10)

「主の日」の神の審判はイスラエルだけでなく、その周辺国にも預言されます。

その理由を十節でこのように記します。

「これは彼らの高慢のためだ」。

聖書は言います。

「「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。」(1ペテロ5:5)

ですから、「主の日」は謙遜にさせられる日とも言えます。

自分に絶望し、神に白旗を上げる日です。

私たちは、対岸の火事のように考えるべきではありません。

なぜなら、私たちも皆、へりくだって、神に白旗を上げ、神が必要であることを認める必要があるからです。

私たちは、自分は関係ないと考えるべきではありません。

「主の日」は、「御怒りを受けるべき」日でした。

しかし、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかり、死に、葬られ、よみがえられたことによって、「その日」は「救いの日」となりました。

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