「これは彼らの高慢のためだ。彼らが万軍の主の民をそしり、これに向かって高ぶったからだ。」(2:10)
「主の日」の神の審判はイスラエルだけでなく、その周辺国にも預言されます。
その理由を十節でこのように記します。
「これは彼らの高慢のためだ」。
聖書は言います。
「「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。」(1ペテロ5:5)
ですから、「主の日」は謙遜にさせられる日とも言えます。
自分に絶望し、神に白旗を上げる日です。
私たちは、対岸の火事のように考えるべきではありません。
なぜなら、私たちも皆、へりくだって、神に白旗を上げ、神が必要であることを認める必要があるからです。
私たちは、自分は関係ないと考えるべきではありません。
「主の日」は、「御怒りを受けるべき」日でした。
しかし、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかり、死に、葬られ、よみがえられたことによって、「その日」は「救いの日」となりました。