「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。」(1:41)
「ツァラアト」(『皮膚が冒され、汚れているとされた当時の疾患』LB)に冒された人がイエスのもとに来て、ひざまずいて懇願しました。
「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」(40節)
「お心一つで」という意味は
「イエス様がそう願われるならば」、
「みこころならば」
という意味です。
この「ツァラアトに冒された人」の根底にあったのは、
「イエス・キリストにはできる。」
「私はイエス・キリストが必要だ。」
ということでした。
この信仰が求められています。
「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)
神は求める以上に答えられるお方です。
彼はイエス様の手のぬくもりとからだの癒しを体験しました。