マルコ 1:35-45

「イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。」(1:41)

「ツァラアト」(『皮膚が冒され、汚れているとされた当時の疾患』LB)に冒された人がイエスのもとに来て、ひざまずいて懇願しました。

「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」(40節)

「お心一つで」という意味は

「イエス様がそう願われるならば」、

「みこころならば」

という意味です。

この「ツァラアトに冒された人」の根底にあったのは、

「イエス・キリストにはできる。」

「私はイエス・キリストが必要だ。」

ということでした。

この信仰が求められています。

「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。」(ヘブル11:6)

神は求める以上に答えられるお方です。

彼はイエス様の手のぬくもりとからだの癒しを体験しました。

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