「また、別の種は良い地に落ちた。すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」(4:8)
四、五、七節の種は、単数形が使われているのに、八節は複数形が用いられています。
ある種は、道端に落ちるかもしれない、ある種は、岩地に落ちるかもしれない、ある種は、いばらの中に落ちるかもしれない、しかし、多くの種は、良い地に落ちて、実を結ぶのだというたとえということです。
小河陽先生は、この種蒔きの譬の中心的使信を、このようにまとめています。
「あらゆる表面的現象にもかかわらず、確実に到来する神の国である。農夫はどんな種蒔きでも、度重なる失敗にもかかわらず、その仕事をやりとげる。同じように、イエスによって樹立される神の国は、多くの眼に余る失敗や挫折を経験したうえでしか完成されないが、最終のそして期待を越える、あり余るほどの収穫は確実である」
時が良くても悪くても、御言葉の種をまき続けましょう!