「ペテロがイエスに言った。「先生。私たちがここにいることはすばらしいことです。幕屋を三つ造りましょう。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」」(9:5)
「山の上の体験」は素晴らしいもので、ペテロがそこに幕屋を造りたい、そこに留まりたいと言った意味も分かる感じがします。
モーセの時代からダビデ王の時代まで、「幕屋」というのは、神に礼拝を捧げる場所でもありました。
それは、神の領域である天と私たちが生きているこの地上とが重なり合う場所でもありました。
しかし、注目すべきはその後の出来事です。
「そのとき、雲がわき起こって彼らをおおい、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。」彼らが急いであたりを見回すと、自分たちと一緒にいるのはイエスだけで、もはやだれも見えなかった。」(7,8節)
つまり、私たちが「幕屋」を造るのではなく、イエス・キリストが「幕屋」なのです。